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総じておバカな国民に告ぐ!<Volume.3> [迷える人々へ]


微かな残照.jpg

〜今回掲載した写真のテーマは陰影(「shadow」或いは「silhouette」)です。

その味わい深い陰影を、是非とも最後までお楽しみ頂ければ幸いに存じます

 

正直者が馬鹿を見る〜、臭いものには蓋をしろ〜、出る杭は打たれる〜。。。 

それらは今も昔も変わらない「真実」である。

だから嘘や欺瞞や曲がったことが嫌いな私は、いつもその渦中にある。故に・・・

罵詈雑言、ありとあらゆる心ない、しかも口汚い言葉の矢が、次々と私の心の臓に突き刺さる。

そんな罵詈雑言や誹謗中傷に幾度も晒されて、いつしか耐性が出来てしまった私である。

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それが良いことなのか、果たしてそうでないのかはちっとも分からないけれど、当初ブログが炎上した時は、そんな感じがしたものだ。

ただし私の場合それに萎縮することなく、即座、且つ徹底的に反撃に転じたのは言うまでもない。

遣られたらその場で遣り返さなければ、禍根を断てないのは自明の理だからだ。

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しかし幾ら耐性ができたとは言っても、心がまったく傷つかない訳ではない。

当時、こうした卑劣なコメントを為す者は、ネットの匿名性(「本名を名乗る必要がない」或いは「個人を特定出来ない仕組み」という意味)を悪用して、普段使っているハンドルネームを使わず、第三者に「成りすまし」て攻撃して来る特徴があった。

ブログ炎上と見ると集まってくる、「愉快犯」も同様である。

だから私は<設定>で、当ブログの「登録メンバー」のみコメントを受け付け、「GUEST」コメントは書き込めないように設定を変えたのだった。

私がそのように設定したのは、当時のSo-netブログのメンバーで、尚かつ正規のブログハンドルネームで、正面から非難したり誹謗と中傷をしてくるような<恥知らず>はいなかったからだ。

これでそのような心ないコメントや誹謗中傷コメントは当面の間は排除できると当時は考えた。

もう15年以上も前のことである。

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それから15年以上が経過し、今やブログ事情も様変わりをした。

約2年前には、【お〇の大将】や【塾〇先生】や、【私腹の時間】や【NEO・ア〇キー】や【まっ●●SUKE】などの一応名の通った面々で、表ヅラは善人を装ってはいるけれど、実は腹●五人衆がとうとう本性を現した。匿名性が確保出来て成りすましが出来る環境であれば、好き勝手が出来ると考える<恥知らず>がとうとう現れたのだ。

というより元より潜在的にいたのだが、それが顕在化していなかっただけのことなのかも知れぬ。

それと同時に明らかになったのは、その取り巻き、或いは信奉者等々、それらに加担する【嗜虐趣味的、或いは烏合の衆的、野次馬連中】が想像以上に増殖していたことだ。

精神汚染>とか<マインド・コントロール>とはこうした事象(一人または複数のカリスマ的存在への、無知なるが故の崇拝及び盲信、或いは狂信)を指して言うのかもしれない。

この者らの特徴は、<設定>で攻撃対象(この場合は「私」)のブログネームやURLを禁止WORD】に加えて、一切コメントを書き込めない様にした上で、彼らなりの反論や揶揄記事、あるいは言い訳と自己正当化満載の記事を展開することだ。

そして本当は私に対して害を為したのに、自分は被害者だと何食わぬ顔で騒ぎ立てるのである。そして嘘つきは、その身が亡ぶまで嘘を際限なく重ねる。

見苦しいったらありゃしないし、無様そのものである。恥を知らない日本人の典型がここに在る。

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思うに今の世の中は、私が15年以上も前に「GUEST」コメントを拒否できるように設定した当時よりも、更に陰湿で偽善的で嗜虐的で刹那的で、しかも考え無しで似非なる善人が大いに幅を利かせ、跋扈する時代に成り果てた感がある。

しかも手口がますます巧妙になっている。そうした手口で多くのブロガーを愚かな考えに感化させ、尚かつ洗脳(マインド・コントロール)して、自分の味方につけて己を正当化するという遣り口が横行しているようにも見受けられる。

現在では、ブログ規約や関係法令に抵触しないギリギリのところで、攻撃する相手の名を挙げず、「アレ」とか「ソレ」とかを多用して<相手を特定していない>というポーズを示しつつ、揶揄や侮蔑の言葉を並べ、それらを暗に仄めかして自身の正当化を図ろうとする輩が横行しているように思える。

「・・・と言う夢を見ました」、と書けば全てがチャラになると考える愚かしさは救い難い。

だから実に言葉に重みがない。

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そうは言っても、そもそもちょっと雷鳴が響いただけでも飛び上がるほど驚く怯懦な連中である。

だからこそ、相手(私)からの反論を恐れて<言論封じ>を画策し、それを実行するのだった。

だがこのように言いたいことを暈(ぼ)かすのは、自分の訴えなり主張に正当性も真実性もないことを、百も承知で書かざるを得なかったという見方も出来よう。

事実そうなのだから仕方ない。

どいつもこいつも<根性なし>なのである。

「所詮犬の遠吠え」と私に揶揄されても致し方なし。

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それもこれも<覚悟>無き故である。

だから遣ること為すことコソコソして、正々堂々としたところが一切ない。

匹夫の勇を奮い起こして、しかも嘘までついて反論を試みた「塾〇先生」は、その欺瞞と嘘を暴かれ、尚かつ偽善者の顔を露呈し、結局のところ私の正論を前にして尻すぼみで終わらざるを得なかった。しかも同時にあれやこれや言い訳をしながら、38もの記事を削除せざるを得なかったのは記憶に新しいところである。

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何度も言うが、この者らが自分たちにとって都合の悪い<言論封じ>のために画策したのが、私のブログ(ハンドル)ネームやURLを、【禁止WORD】に設定して己のブログにコメントを書き込めない様にしたことだ。

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<2023/11/22 12:20追記>

その上で自分の記事の中で、相手を<アレ>や<ソレ>と呼び暗に臭わせて、相手に反撃されない環境(「相手のURL等を【禁止WORD】に設定する」という意味)を作った上で、相手への非難や誹謗中傷や名誉を毀損したり、嘘で固めた言い訳で事情を知らない多くのブロガーの同情を託ち、そのまことしやかな嘘と欺瞞を信用させるのだ。

皆さんもよく聞く<風評被害>とは、こうして出来上がっていくのだ。

そしてその一翼を担うのは、実はあなた達なのかも知れぬ。なぜならば、そもそも<風評被害>とは、<伝聞>なしには、けして広がらないからだ。

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それらは自分たちの不正や欺瞞や偽善や虚偽答弁を(私に)明らかにされるのを恐れたがゆえだ。

それがチャチな<言論封じ>と言うか、<反論恐れ>の中身である。

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一方私は,その情況を受けて、単に誹謗中傷や名誉毀損コメントを排除する目的で、【禁止WORD】にこの者らのURL等を書き加えた。

改めて言うが、それまで私がこの者らを【禁止WORD】に加えたことは一度もない。やつらがそうしたから、対抗上そうした迄である。

しかし理由はそればかりではない。ブログ規約上、たとえ当人のコメントでなかったとしても、そうした不正なコメントを放置すれば、<管理者責任>を問われることになっているからだ。だからそのように<設定>を変えた。

しかも<目には目を歯には歯を>の私だから、けしてそれだけでは終わらない。

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私はそうすると同時に、こうした輩の正体を知らしめるために、

また【塾〇先生】の「書きたいことがあったら自分のブログでどうぞ!」という揶揄の言葉を受けて、

「ならばそうさせて頂きます」と、売り言葉に買い言葉よろしく、まさに渡りに船とばかりに、

自身のブログを使ってその欺瞞性と偽善性と虚偽コメントの数々を暴き、真実を明らかにした。

それに慌てふためいたのは当然私ではなく、元々考え無しで覚悟もない【塾〇先生】の方である。

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私が見るところ、(というより誰が見ても)「遣るなら遣ってみろと啖呵を切った」ご当人であるこの【塾〇先生】には、実のところその言葉に見合った<覚悟>がまったく以て足りていなかったとしか言いようがない。似非教〇者であれば致し方なしと言ったところか。

だからその後になって、拙速というかその場凌ぎというかよく考えもせずに、言い訳記事を矢継ぎ早に公開しては消す、という無様な行為を散々繰り返したのはご存じの通りだ。

その中で数々の欺瞞と嘘と偽善性を大いに発揮していたのは言うまでもないし、時に違法行為の疑いのある言動(或いは明らかな違法行為)まであったのはご愛敬かも知れない。

そうした浅薄で感情的な言動を見るにつけ、虚偽体質で保身のみに汲々とするような、しかも「自分の言葉に責任が持てない人間が、果たして人にものを教えて良いのだろうか」、という素朴な疑問が、私の脳裏を過ったのは至極当然であろう。

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しかし●●ブログは「混乱」を恐れるあまり、事の是非を問うことなく一方的に私の記事を【送信防止措置】にして収拾を図った。これがあの2年前の真相である。

これで奴らは一件が落着して、自分たちの体面を保てたと思ったのかも知れないが、そうは問屋が卸さないのは世の常。

遣られたら遣り返す>のを信条の一つとする私だから、事がそのままで終わる訳がない。

とはいえ、己の言動とその結果の反動が我が身に降り掛かるだろうことは百も承知だ。

私には元々<覚悟>は出来ているので、何ら恐れるものはない。

奴らとはそもそも生き方(私は「生き様」という言葉は使いません!)が違うのである。

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それもこれも(「私と、私と対立している人達」という意味)、事の善し悪しも含めて、全てがすべて、因果応報だと考えているからだ。

この因果律から逃れ得る者は一人もいない。

そうして世の常が、因果応報の理に基づいているならば、私の忌憚ない或いは歯に衣着せぬ直言は、当然ながら世の反発を招くだろう。日本社会の常識は、「臭いものは蓋」体質だからだ。「見て見ぬ振りが常態化している」と言っても過言ではない。

それでいて反発だけは一人前にするのだから始末が悪い。

私の言葉が人の心に直に届き、しかも人々の痛いところを突いていたとするならば尚更だろう。

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水面に石を投じて波紋が次々と広がる。その波紋の大きさが、(出来)事の大きさを物語る。

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そんなことを経験して思うのは、人々は時に残酷で軽薄で、しかも救い難いほど愚かだということだ。

人々は、どうしてこうも思慮が足りず短絡的で、尚かつ刹那的で情動によって突き動かされる、単純で単細胞な生きものに成り果ててしまったのだろう。

「自分は頭が良い」、あるいは「要領がいい」と思っている連中に、その傾向が顕著なのは実にオモシロイところだ。

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そう思って、今の日本人に足りないのは何だろうと考えた時、出てきた答えはただ一つだ。

上記で何度も書いているが、それは<覚悟>なのだと思う。

今、日本人に心底足りないのは、何はさて置いても<覚悟>なのだ。

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この世にオギャーと生まれ落ちた時からずっと、唯々漫然と生きて来たものだから覚悟など初めからありはしない。

それが証拠に漫然と生きているから先のことなど考えもしないし、漫然と生きているからこそ今自分の目の前で起こっている事象が自分とどう関わっているのかさえ気づかない。

だから想定外のできごとが目の前で展開されると、為す術なくただ狼狽え、そして慌てて愚にもつかぬ反論や嘘を繰り返すから、ついに墓穴を掘ってしまうのである。

それらはすべて<覚悟>がないからだ。

自分の言動がどのような結果をもたらすかを知りもせず、覚悟もなしにただ情動によって突き動かされるから、良い結末を迎えることはあり得ない。

糅てて加えて漫然と生きているから自分の考えがなく、周りの意見や風潮に流されやすい。

その危うさに気づきもしないのは取りも直さず漫然と生きているがゆえだ。

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何のことはない。

輪廻転生かメビウスの帯のごとく、答えは堂々巡りで際限なく<正解>には到底辿り着けない、底無しの愚かさを露呈しているように見受けられる。

「旧ジャニーズ事務所の性加害」の一件も「宝塚歌劇団員死亡」の一件も、

「日大アメフト部薬物事件」の一件も「ビッグモーター保険金不正請求事件」等々の不祥事も、

皆それに対処した人達に、そもそもあらゆることを背負って立つ<度胸>と<覚悟>がなく、ちまちまと己の<保身>を図ったが故の今である。

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<追記>

当初は、去る10月23日に公表された、第二百十二回国会における岸田文雄内閣総理大臣の、「所信表明演説」の事実と異なる表明と、その欺瞞性について記述して総理の<覚悟>の無さを暴く予定でした。だから遣ること為すことチグハグでデタラメだと詳細に語ってみようと思っていたのです。

もちろん、どこぞの『バ〇塾センセイ』のように、それこそこまっしゃくれた小学生でも言えるような、通り一遍の政権批判などする気は更々ありません。大勢を占める意見などに迎合しない私は、他人の請け売りなど決してしないのです。

という訳で、岸田総理の「所信表明演説」に言寄せて、己の「覚悟の無さ」やその「欺瞞性」に気づかない、過半の国民の愚かさ加減に言及する予定であったが、今回はそれを書かずに、敢えて私の経験を引き合いに出して、【日本人の覚悟】について私なりの考えを述べてみた。

私は思う。

他人の請け売りではなく、誰もが思う常識的考えを打破した言説こそ、真の意見というものだ。

 それ以外は迎合であり欺瞞だから、そこに真実も正義も存在しない。


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ちょっと一休み [日記風に綴ってみれば・・・]

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<2023/11/11 いつの間にか秋は訪れていた>

今回は、「総じておバカな国民に告ぐ!」シリーズは、お休みとさせて頂きます。

気がつけば秋!

つい最近までは幾日も夏日が続いていたというのに急に寒くなった。昨日は最高気温ですら16℃だった。そして一夜明けた今朝は、夜半からの雨のせいか、最低気温は8℃で最高気温も12℃の予想。実に寒々した朝だった。これでは幾ら速歩でウォーキングをしようとも、身体はちっとも暖まらないので、Tシャツ短ズボンじゃあ外に出られない。

昨日は久し振りに2時間半ほど徒歩で公園や緑地を歩きました。そして秋が既に深まっているのに、ようやく気づいた私です。

でも今年の紅葉は色づきもあまり芳しくはない。それでもやはり秋は秋。道すがら、清々しい気分を味わうことができました。

続きを見たい方は此処を押して下さい


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総じておバカな国民に告ぐ!<Volume.2> [迷える人々へ]

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<2023/10/26 17:40 家路を辿る途中に夜の幕張メッセを撮る>

「人間、一生勉強だ」とは、皆一度ならず聞いた言葉だと思う。

でも、「本当に生涯を掛けて勉強に励んでいる人など皆無に近いのでは?」と、思っている私だ。

「人間は考える葦である」という、パスカルの言葉があるが、総じて「人間は考えない(或いは考えようとしない)葦である」ことも、また事実であろう。

齢を重ねる毎に易きに流れ、現状に満足し、或いは妥協というか己のこれまでの人生に折り合いを付け、「自分はこの程度でいいんだ」と自らその可能性の芽を摘み、それと同時に克己心等をなくす傾向が一段と強くなる。それを見ると、人間の持って生まれた性(さが)つまり本性は、向上心や高潔な志や謙虚さなどではなくて、つまらない保身と怠惰と成功願望と、それが成就できない者の他者(いわゆる勝ち組)への妬みや恨みなのだと喝破するしかない。

だから持てる者も持たざる者も、等しく自分を守るために平気で嘘も付くし、人が見ていなければ怠けるし、他人には辛辣で辛口で、それでいて中身も大してない割には尊大で、だからこそ自分には甘い者が過半なのだ。

そのような偽善や欺瞞を指摘し尚かつ批判すれば、批判された当人は批判した者に対して強い反発心を覚えるらしい。そして反論のつもりだろうか。「いい歳をして青臭いことを言う」とか、「正義漢ぶって誰彼構わず噛みつく狂犬」と言うようなレッテルを貼り付けて、暫しの間お仲間たちと、一緒になって溜飲を下げるのだ。情けないな、社会的(と言いながら実は金銭的)な成功体験がこの者たちの唯一の基準であり、その低俗さと浅薄さは如何ともし難い。

糅てて加えて謙虚さの欠片もないから、批判を受けて自分の言動や過去を振り返ってみることもしない。だから反省もしないし、却って批判した相手を嘘をついてまで貶めようと画策したり、名誉毀損だなどと大騒ぎして同情を託(かこ)つ馬鹿で恥知らずな人達も現れる訳だ。そんな人間に限っていざ批判から逃げられないとなったら、とどのつまりは相手を無視するか居直る為体。あのさ、、、それって犯罪だよ!、知ってた?

そんな人間になるくらいだったら、「いつまでも青臭くてバカな奴だ」と言わる方が余程マシだ。そんな人達の方こそ「いつまで経っても己を知らないモノホンの愚か者なのだ」と思うしかない。

人間、今の地位や自分の立ち位置や、自分を取り巻く環境に満足した時点で、はたまた醜い自分の心情を隠して己を美化したり、あるいは虚飾に走った時点で、それ以降の人間としての成長なんかあり得ない。保身のために言い訳をしたり嘘を付いたり、「これでいいんだ!」と開き直ったり自己満足した時点で、「考えない葦」に成り果てるのだ。

ところでこの記事のタイトルである<総じておバカな国民に告ぐ!>だが、このタイトルでは、その「総じておバカな国民の反感と顰蹙を買ってしまうのは必至だろう」と考える人も少なからずいるだろう。だがそれでも私はこのタイトルを変えようとは思わない。それは日本人の意識はおしなべて低すぎると常々思っているからだ。これは私の確信だ。

なぜ日本人はこうも他者への労りを忘れ、挙げ句の果ては自己チューに成り果ててしまったのだろう。何故こうも仲良し俱楽部的な集団の中にいないと落ち着かないのだろう。仲間外れにされるのがそれほど恐いのか? 何故ああも周りに影響されて結局のところ流されてしまうのだろう。なぜ自分の意見を堂々と述べられないのだろう。また仮に述べたとしても、なぜ己が稚拙で無知である事を、ああも無様に曝け出してしまうのか。そしてたった一度の失敗で羹に懲りて膾を吹くのだ。

それだけではない。批判を謙虚に受け止められず、却って批判した者を逆恨みして保身に走ったり、あろうことか仲間を募って、批判した相手を嘘を付いてまで貶めようと画策する者さえ現れる始末だ。

ブログでも上記に挙げたことは全て当て嵌まる。私は常々思っているのだが、ブログは嘘を付いたり法律を犯してまですることなのか? そうまでしてアクセス数を増やして金儲けがしたいのか それ程までして自分を身の丈以上に大きく見せたいのか! 全てがすべて己の利得のため、虚栄心の為せる業なのか。どうしてこうも日本人は恥じる心をなくしてしまったのか? そもそも損得でしか物事を判断できないなんて人間としてあまりにも浅ましくないか?!?!

これが愚かと言わずして他に何と呼べば良いのか。

日本人の過半は、自分自身と自分に関わりのある周りの人達や出来事にしか関心を示さず、世界的に見れば大変な出来事や災害や事件や紛争・戦争などを、自分たちとも関わる重大な出来事だとなぜ感知できないのだろう。ウクライナ戦争や、イスラエルの国際人権規約違反等々の問題が、友達や同僚との日常会話のネタになる程度の、個人的で極めて矮小な認識しかないのだろう。

日本に重大な影響があるのは、なにも覇権主義の中国でも、常に領土拡張を目論むロシアでも、恫喝的で敵対的な北朝鮮だけでもない。そんな地政学的な近隣諸国との関係だけではなく、もっと世界的な視野を以て、地球規模で物事は捉え考えるべきなのだ。結局のところ、近視眼的で卑近なことだけしか考えられない人は、いずれ想定していない事態に遭遇し、それに因って翻弄されるのは必定だ。卑近なことにしか思いが至らないのだから、当然の帰結であろう。

・・・挙げればキリがないからこの辺で苦言は止めておこう。でもね。。。

「それじゃあ余りにも意識が低すぎやしませんか?」という思いから、そんな現代の日本人への警鐘を込めて付けたタイトルが、<総じておバカな国民に告ぐ!>なのだ。

尚、私は<総じておバカな国民>から自身を除外している訳でも、こうして<青臭い>意見を述べている訳でもない。<自分も愚か者の一員>であることは重々承知している。

但し、考えることを放棄して安穏な今を享受している過半の人達よりは、問題意識を少しだけ多く抱えて、それを何とかしようと日々思い、行動に移しているのは確かだ。それは偽善的で享楽的で尚かつ自己中心的で、総じて易き方に流れがちな人々の行動を見て、<他人の振り見て我が振り直せ>的な、且つ自身の過去の行状を顧みての、自戒と反省の結果でもある。

水は低きに流れる。それはそうだろうが、「人間だからこそ、それに抗うことも出来るのでは?」と言うのが私の提案だ。「もっと自分というものを持って下さいね」と言うのが私の願いだ。そうでなければ押し並べて日本人は《一生子どものまま》で終わるだろう。

<続く>

次回は、技術革新が世の中にもたらす変化とか、それによって世界情勢がどう変わるのかと言ったお話をしようかなと思っています。でも私のことですから。それこそあらぬ方向に話が行ったり、もっと身近で切実な日常のお話とか、久々の政治のお話とか、あれやこれや話題があちこちに飛ぶかも知れません。

でも私たちにとってどうでも良い話など何一つするつもりはありません。何しろ残された時間はそれほど多くはない私です。遣ること、そして遣るべきことは、それでも山積みで熟しきれないほど抱えている私です。だから一分一秒でも時間は無駄にしたくない。

ではでは皆さまご機嫌よう。


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〜海は 広いな 大きいな♪〜

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〜月が 昇るし 日が沈む♪〜

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〜海は 大波 青い波♪〜

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〜揺れて どこまで 続くやら♪〜

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〜海に お船を 浮かばせて♪〜

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〜行って みたいな よその国♪〜

「海(うみ)」作詞:林柳波、作曲:井上武士〜1941年発表、日本の童謡、文部省唱歌。

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黄昏時には、それを見つめる人々の、それぞれのドラマがあるように思える。

だから私は黄昏時の、あの昼から夜に変わる僅か数十分間のドラマティックな変化が好きだ。

そこには夕日を見つめる人々の、偽りのない心がまざまざと在るように思えてならない。

海辺に集う人達には、遠くに思いを馳せる、人それぞれの、静かで熱い想いがあるに違いない。

夕日には、それを見つめる人々の、日々の疲れを癒やし、赤心に還らせる何かがある。

 

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総じておバカな国民に告ぐ!<Volume.1> [迷える人々へ]

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<2023/10/26 16:47 残念だがこの日の夕刻、東京湾越しに富士山の姿を見ることは能わなかった>

別に不安も驚きも恐れすらも感じてはいないが、世界は崩壊あるいは破滅への道をひた走っているように思えてならない。つまり人類滅亡の時が迫っているというような、・・・そんな気がするのだ。今は明らかにしないが、私のこの感覚には、漠然とではなく明確な根拠がある。

しかもそれは、戦争の度に繰り返されて来た、破壊の後の復興あるいは再生というシナリオなど一切ない、地域限定的、または大規模で広範囲な国家群の瓦解、もしくは崩壊、あるいは文明そのものの消滅を意味しているようにも思える。歴史上消えた国家も文明も無数にあることを忘れてはならない。

であるならば日本国という国家も日本人という民族も、未来永劫続く訳ではないと知るべきだ。

たとえ日本という国家あるいはその概念が、神話の時代から数えてこれまでに2683年以上存続して来たとしても、令和5年の今この時以降も永遠に存続することなどあり得ない。理性ではそう分かっていても、感情的あるいは感覚的にはそうであって欲しくないという願望の方が勝ることも当然あるであろう。しかしそれは幻想なのだ。

人々とは気休めの嘘にすがり、己にとって都合の悪い事実には目を背けたくなるものなのだ。

恐怖という言葉に人々の大半はマイナスなイメージを持っている。だが恐怖がもたらすものは悪しき面もあれば良き面もあり実に様々だ。

もし自分が何かに不安や恐怖を感じているのだとしたら、それにただ怯えているだけなのか、それとも、その事象がもたらすものを克服しようと人一倍努力するかによって、自ずとその答えは変わってくるように思える。これは賢かろうが愚かであろうが皆同じなのだ。

だから、愚か者ほど恐怖を感じないというのは嘘だと思う。

愚か者は今起こっていることの正体が、いったい何であるのか理解できないからこそ不安を感じ、その結果として恐怖を感じるのだ。糅てて加えてそれを根源的に解消する術を知らない。だから見て見ぬ振りをして現実から逃避するのだ。まあだから愚か者なのだが。

同様に賢い者も恐怖を感じはするが、恐怖の正体が分かっていさえすれば、しかもそれを克服する知恵と能力さえあれば、恐怖は薄らぐことはあるだろう。

しかし生きている以上、絶対的に不安や恐怖を感じない人などいない。

たとえば貴志祐介の小説である『悪の教典』に出てくる主人公、蓮見聖司のような他人にまったく共感できないサイコパス(反社会性人格障害者)でもなければ、基本的にはそうだ(得体の知れない事象に対し不安と恐怖を感じてしまうものだ)と言えよう。

だが一つだけ言えることがある。

希望を失わず、恐怖に耐え、それを克服した者だけに未来はある。

もし仮に全てを失ったとしても、再生の道は必ずあるのだ。

ところで私は、冒頭で「私のこの感覚には、漠然とではなく明確な根拠がある」と述べたが、その根拠を一つだけ種明かししよう。

それは『生成AI』の誕生とけして無関係ではない。・・・理解できたかな?!

<続く>

次回以降は未定だが、もしそれがあり得るのだとしたら、本当に久し振りではあるのだが、『政治の話』を中心に、それが『私たちの生活』とどう関わって来るのかという事柄について語ってみたい。

当然ながら、緊迫の世界情勢と日本への影響についても言及したいと考えている。

題名は今のまま『総じておバカな国民に告ぐ!』で、変更はしない。

しかも顰蹙承知で<シリーズ化>まで考えている。

なにしろシニカルささえ排除した、表裏のない正義・正論おバカな『直言居士』だから( ̄∇ ̄)

<おまけ>

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<11月1日の日没時、東京湾越しに久し振りにある現象を捉えることができました。西の空に太陽が沈んだ直後、富士山の後方、つまり東の空に反薄明光線が影のように放射されていたのです。日中の最高気温が夏日になる陽気で、空気中の水蒸気が未だ多いために遠くが霞んで見えますが、これから12月1月と寒さが増すようになれば、空気は澄み富士のシルエットも一層くっきりと見えるようになります。そうなれば反薄明光線もよりくっきりと遠くまで届くようになります。
この日、東京湾の海上に浮かぶように見えた富士山のシルエットと太陽光の残滓、それはとてもとても美しい光景でした。この後、電動アシストなしの時代遅れのママチャリを漕いで、薄暮の中を夜陰と追い掛けっこをするように急ぎ帰途に就いたけれど、検見川浜と幕張海岸を繋ぐ美浜大橋の上から、飛ばしに飛ばして35分ほどで帰宅してしまった私です。今までの最短記録達成の瞬間である。因みに一夜明けた11月2日の昼になっても筋肉痛は一切ないし、これからも恐らくはないだろう。近頃の私は肉体的にも精神的にもタフだ!(*´∀`*)>

<2023/11/03 21:56追記>

任命責任どころではない。岸田総理の人を見る目の無さは底無しのようだ。

柿沢未途議員は、以前から問題児だった。身辺調査などまともにしていないとしか言いようがない。<前科>があるのにこれも知らないで法務副大臣に任命したの? その記事はココをクリック。

加藤鮎子こども相も能力不足&勉強不足で、これで果たして適材適所と言えるのだろうか?

立民の蓮舫議員の質問にまともに答えられなかったし、再三の質問にまともに答えられず、答弁できない加藤こども相に代わって答弁した武見敬三厚労相も、(官僚の耳打ちアドバイスがなければ)詳細な内訳を答えられず失笑とヤジを買った。その記事はココをクリック。

どうでもいいけど、こんなのしか自民党には人材がいないのだろうか? それに毎回毎回「当人に説明責任がある」って岸田総理は言ってるけど、一度だって&誰一人まともに説明責任を果たした議員はいません。

岸田総理大臣殿、貴殿はあまりにも国民を馬鹿にしていないか!


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