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自己正当化という偽善と欺瞞の齎(もたら)すもの [迷える人々へ]

サンティアゴ大聖堂.jpg

<有名なキリスト教巡礼路の終着点が"Santiago de Compostela"、私たち夫婦はここに2回行った>

タイトルヘッダーの写真だが、このサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂前の、オブラドイロ広場の中心の、石畳に埋め込まれた終着点の道標?である。(上記の写真では、多くの人が集まり座っている辺りにある)なおここに彫られたホタテ貝は巡礼の象徴で、(日本の一里塚さながらに)巡礼路では聖地の道順を示す矢印とともに、分岐点等々至る所で見られるものだ。

イエス・キリストの使徒であった聖ヤコブ(スペイン語で『サンティアゴ』)の聖骸の安置された、スペイン西北部のガリシア州に在るサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂は、ローマ、エルサレムと並ぶキリスト教三大聖地に数えられている。
そこに至るヨーロッパ中に張り巡らされた巡礼路はスペイン語(カスティーリャ語)で "El Camino" (エル・カミーノ『その道』)と呼ばれ、その全てがこのサンティアゴ大聖堂に繋がっている。
勿論お膝元のスペインやポルトガルにも幾つも巡礼路はあって、それら全てを辿ってサンティアゴ大聖堂に辿り着いた人は、世界広しといえどもそうは多くはないであろう。一生のうちで3回も行けば多い方だといえる。恐らく10回行っても全部の巡礼路を辿ることは不可能と思われる。
それにこの巡礼路は途轍もなく過酷な道である。町(或いは村)と町(或いは村)との間は、どこまでも続く炎天下の平原か、起伏のある曲がりくねった道、あるいは険しい山岳地帯で、人は殆ど住んでおらず見渡す限り家はない。ましてやコンビニやレストランや大規模ショッピングセンターなどあろう筈もない。
そうは言っても近代から現代に至るまで巡礼者が休息し一晩の宿を借りることは出来る。昔は野宿がもしかしたら当たり前だったのかもしれないが、四国お遍路同様にサンティアゴ巡礼の旅には、巡礼専用の宿泊施設である『アルベルゲ』があるからだ。しかし基本連泊は出来ない規則になっているので、ちょっと疲れたから数日休ませてくれとは言えない。そのようなこともあって、巡礼の旅が過酷であるのは今も昔も変わらないのではないか。
それが証拠に、現在のように医療が発達し、野生の狼もおらず、治安もある程度確保されていたとしても、途中でリアイアする人の数は殊の外多い。それは最もポピュラーな、フランス南部のトゥールーズから始まるピレーネー山脈越えの『フランスの道』でも、しかもかなり健脚な巡礼者であっても、最短で1ヶ月は掛かることからしても容易に推し量れるであろう。
通常は40日ほど掛かるようだが、新調したトレッキングシューズでもサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に着く頃には、靴底はすり減り靴紐は切れ、大抵ガタが来てボロボロになってしまう。
足も最後まで無事な巡礼者は稀だと言えよう。皆、大なり小なりマメが出来たり足の裏の皮がベロッと剥がれ、血だらけになったりというアクシデントに見舞われている。重いザックで肩を痛めたり擦り傷を負う巡礼者も多い。そうした怪我だけでなく、巡礼の旅が長期に渡ることから、体調を崩し病気になる人も少なくないし、精神的に参ってしまう人は必ずいる。
それにスペインの夏の気温は日中40度を軽く越える。私がスペイン滞在中に経験した最も暑い日はコルドバからセビーリャ(セビリア)に至る車中(レンタカーを借りて運転していた時)の45度だ。3日前は50度近くまでいったとオスタル(ホテル)の受付の女性は当然のように言っていたから、世界中に熱波が押し寄せた2023年は、もしかしたら、否、もしかしなくても50度を越える日が幾日もあったものと思われる。
日中の最高気温45度を経験したその日は、夜8時になっても38度までしか下がらなかった。幾ら日本と比べて乾燥した空気だとはいえ、熱帯夜の夜は寝苦しかった。
であるからにしてフランスからの道などは、セビーリャより遙か北で幾らか気温は低いとはいえ、ピレネー越えなどを考えれば寒暖の差は激しく、しかもガリシア州に近くなるとそれまでの乾燥地帯が一転して亜熱帯もしくは温帯雨林的に雨の日も多くなり、その過酷さは四国八十八カ所札所お遍路の旅を遙かに越えるものであろう。それでも世界中から集まった人々はサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す。
このサンティアゴ、欧州で新型コロナウイルス禍がようやく収まった2022年は、歴代最多の55万人がこの地を目指して巡礼の旅に出たという。今年はそれを超える人々が巡礼の旅にでているのではあるまいか。
そうして世界中から集まった巡礼者の多くは、その道程が長く起伏に富み過酷であるがゆえに、この長い旅路で多くのものを得るという。(逆に失うものがあるかも知れぬ)
私がこの道の存在を知ったのは、2度目にスペインに行こうと決めた2017年だ。ツアーではなく個人旅行で行く計画(丸1ヶ月)をした私は、ガイドブックを見てサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の旅の存在を知り、その紹介コラム欄に載っていたパウロ・コエーリョの著作、『星の巡礼』という小説の存在も合わせて知った。以来是が非でもここに行きたくなり、旅程の中にしっかり組み込んだだけでなく、ネットでこの小説の書評を見てすぐに角川文庫版を購入して巡礼の旅とはどんなものなのか知ろうとしたのだった。
その後2019年のポルトガルの旅(きっちり3週間)の終盤に、ポルトから足を伸ばしてこの地に4連泊して以来、まだ2回しか行っていないが、今後欧州に行く機会があったらサンティアゴ・デ・コンポステーラには必ず行こうと決めている。
だが実のところ巡礼の旅は一度も経験したことがない。サンティアゴ・デ・コンポステーラに幾日(3泊〜4泊)か滞在し、その周辺を散策したり、ちょっと遠出して終焉の地といわれるフィステーラ岬を訪ねたのみだ。しかももう長期間に渡って海外旅行をする体力はない。そして今は海外に行くお金さえもない(@^▽^@)
だがしかし、妻はこの聖地が今も大好きだ。でも昨年から膝を痛めているので、あらゆる条件が揃ったとしても、巡礼の旅はおそらくは実現しないであろう。私たち夫婦は年老いた。

それでも、この旅を通して経験したであろう巡礼者の心の変化に、及ばずながら思いを馳せることは出来る。彼ら彼女らは総じてこう思ったはずだ。
敬虔さとは何か、正直であることの意味、自分を見つめ直す謙虚さを持つことの大切さ。
つまらない意地を張るのも、中身もないのに体裁を繕う事も、それら見栄も虚栄も全ては空しい。
そうした諸々を捨てて、穏やかな心を得た(取り戻した)時に素直な心が蘇るであろう。
それら諸々の真理を、巡礼者の多くはこの長く苦しい旅を通して学び、経験するのだ。
それは自省、あるいは過去を振り返る旅であり、明日に繋がる貴重な心の旅でもある。

たとえ途中で挫折したとしても、そこから得るものは必ずあると私は思っている。

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王座戦第四局終盤で、なぜ形勢が逆転したのか [真実の追究]

秋の夕暮れ1.jpg

遅まきながら、まずは藤井聡太さん、八冠おめでとうございます。

第七一期王座戦は第四局終盤で藤井棋聖(その時点で七冠)が形勢を大逆転して勝利し、見事前人未踏の八冠達成の偉業を成し遂げました。

 

ところで私は将棋のコマの進め方は知っており当然指すこともできますが、ハッキリ言ってヘボです。考えていることが表情に出てしまうため、元々勝負事には向かない性格なのです。だから競馬・競輪・競艇といったギャンブルもしません。

 

閑話休題、本題に戻りましょう。

しかしこれは藤井七冠による形勢逆転というよりは、永瀬王座の敵失による勝利と呼ぶべき内容で、終盤の1分勝負になるとまさに負け知らずの、藤井七冠の面目躍如といったところでしょうか。

藤井聡太棋士の、詰めに入った大事な局面ではけしてミスをしない戦い方を見て、この事になぞらえて私には思うところがありました。

それは昨年初頭に、相手の証拠隠滅行為と、その上での開き直りや、嘘で多くのブロガーを丸め込んで仲間に引き入れるその狡賢さに業を煮やし、己の瞋(いか)りによって最後の最後で、詰めを見誤ったことに通底する思いです。

〇〇ブログから【送〇〇〇措置】を受けた時、はるか以前からそうなる事態を想定し危惧していたにも関わらず、感情を抑えられずにまさにそれが現実のものとなって初めて、私は常に冷静でいることの難しさを改めて感じたのです。

『急いては事をし損ずる』とは、まさにあの時の私の情況であったと認めざるを得ないだろう。

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故ジャニー喜多川社長による性加害問題にこと寄せて [臭いものに蓋で何かが解決するのか?]

栗の赤飯炊き上げ直後01.jpg

2023/10/09 12:06 に、大栗の御赤飯炊き上げました。今回の下拵えは手間も掛かり結構大変でした。うちには蒸籠はないのでIH圧力炊飯ジャーで炊き上げたのですが、賢い炊飯器なので蒸した場合同様に、少し固めの御赤飯が出来上がりました。
ところで我が家では普段は二合炊きなのに(栗の量が多かったので)初めて五合も炊きました。使った栗は500g、お米はうるち米を混ぜず、すべてもち米です。マメはササゲではなく大納言を使いました。大納言が、長時間水に浸けすぎたのが原因で、少し煮崩れしてしまったのはご愛敬。このあと、しゃもじで栗を崩しながら赤飯を混ぜたのは言うまでもありません。もうホクホクで熱々です
初めてにしては上出来だと思います。しかも5合も一度に炊いたのも初めての事。
なので本当は思いっ切り食べたいところですが、わたくしめ基礎疾患があり、お茶碗に軽く六分目で胡麻も塩も
掛けず、三種類の薄塩の漬物と一緒に頂きました。一方うちの奥様はご飯茶碗ではなく深皿に二人前くらい盛って、胡麻塩を掛けて更にゆかりまで入れてモリモリ食べていました。
食べた感想ですか? (実際にはそうはしませんでしたが、)うちの奥様は「もう一杯食べようかな」と言っていましたし、私と致しましては、「美味しかった」の一言です!(*^O^*)
残った
栗の御赤飯は、夕食後に一つ一つラップに包んで『おにぎり』にして、冷凍保存する予定。これで一週間は『レンジでチン』で、熱々の栗の御赤飯
を毎日頂けます♡
なお、まだ400gほど渋皮まで剥いた、しかも形の崩れていない茹で栗があるので、当初に予定していた通り『栗羊羹』を作るつもりです。ゆで小豆と練り餡と粉末の寒天は、すでに用意してあるので近日中に作る積もりでいます。今回初めて羊羹を作るのですが、コクのある栗羊羹にしたいと思い、砂糖は素焚糖を使った『栗羊羹(大島)』にします。だから水羊羹のような軽めの味ではなく、まったりしたえも言われぬ甘さの本格的な栗羊羹となるでしょう。まあ、成功したらですけど(@^▽^@)

追記です。今朝(2023/10/10 8:30)にTVを見ていたら、栗は茨城県でもやはり不作だそうです。9月の暑さで、栗の大半が日焼けと高温で実が腐ってしまったとのこと。私も腐った栗を買って2袋(2kg)丸々交換して貰ったこともあります。例年になく高い理由もこれで納得。と同時に、こんな大きな栗を手に入れることが出来て幸運だったなとも思います。

 

突然ですが、コラージュはなかなか面白い。特に絵が上手くなくても、何か興味を持ったものを切り取りして、貼り付けてしまえば誰にでも簡単にできてしまうのがいい。
まあ自分で言うのも何だが私は絵も上手だ。だからまったくのオリジナルではない、言い方を変えれば0から創作するものではないコラージュを、わざわざ作ってみようとは努々思いもしなかった。しかも切り貼りは元々余り好きではない( ̄∇ ̄)
しかし現代はIT社会である。コラージュを制作するに際し、糊を事前に用意し、対象となる絵柄あるいは写真をカッターや鋏で切り取って、台紙に貼り付けるという七面倒臭い作業から解放され、手がインクで汚れることもなければ、カッターで手を切る恐れもない。コンピュータと画像を加工・編集するソフトさえあればそれこそ誰でもそこそこの<作品>が出来てしまう。

てな訳で、最近ちょっとCOLLAGE嵌まっています。

aku no suujiku.jpg

題名:私が過去に俎上に載せた人々の残滓・或いは隠された本性の『ネガティブ』な残像

本来ならば、拙ブログの記事として政治や社会問題を取り上げることはあっても、一芸能事務所の元トップが為した犯罪行為などに私は更々興味がなく、いままで芸能プロダクションの話など取り上げたことは一度とてありませんでした。

しかし今回ばかりは刑法や民法に抵触するだけでなく、社会問題として注視すべき点が多々あり、それを語らずにはいられないと思った次第です。

この一連の出来事は、けして文化・芸能等という狭いジャンルに限定した話などではなくて、この問題にこそ日本社会の根幹に関わる、実に多くの看過出来ない問題が集約されていると感じています。

ゆえにこの件にこと寄せて、日本、ひいては日本人の、過去・現在、そして未来に亘る問題点を、私なりの考えで語って(書いて)みようと思います。

いつものように耳の痛い話もありますが、我慢して最後まで読んで頂ければ幸いに存じます。

相変わらずの長文ですが、その点もご了承願います。

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<私が想うこと>

モロッコとアフガンの地震で死者がそれぞれ2000人以上出ているニュースや、パレスチナのハマスとイスラエル軍が激しい戦闘を繰り返し戦争状態に陥っていることも、ロシアのウクライナ侵略戦争が始まってから1年半以上経った今も戦闘が止まない現状も、過半の日本人の本音からすれば、所詮他人事なのでしょう。つまり自身の身の廻りに発生した出来事以外への関心は極めて薄いと思われます。

それよりも、ラグビーワールドカップの勝敗や、アジア大会の日本人選手の活躍の方が気になったり、身近で切実な問題である史上稀にみる物価高に気を取られて、世界の趨勢や動向などに気を取られたり、関心を示すことなど殆どないのでしょう。

しかも日々の世の中の動きと、日本人の過半の言動をよくよく見れば、自分たちが今後どうなっていくのか、深く考えて行動しているようには到底思えない。選挙でも、毎度毎度政権与党が目先にぶら下げた、餅(あるいは『餌』)に釣られて投票してしまうくらい、愚かで先の見通せない国民性であれば致し方がないのかも知れぬ。

年金生活に入っている老齢の方々や低所得者世帯は、ヒタヒタと押し寄せる経済破綻に怯え不安を切実に感じているのかもしれないが、現役世代の過半は生きるのに精一杯、あるいは勝ち組は自分たちの人生を謳歌するのに夢中で、他人のことなど構っちゃいられない。

それがゆえに刹那的で、先々に思いを巡らすこともなく、他人のことなど知ったこっちゃないし、ましてや諸外国の動き、特に遠く離れた中近東や欧米の話など遠い世界の話でしかないのだろう。

ゆえに世界の動向など、友達や知人との会話のネタというか話題作りとしての価値しか見出せない。ましてやそれが自分たちに、今後どの様な影響を及ぼすのかまでは、到底考えが及ばない。そして現実に影響が出てから慌てふためくのだ。

一事が万事、十年一日、日本人のお気楽で能天気な国民性は直りそうもない。

果たしてそれで良いのか、と呼び掛けても、その問いに答える者はごく僅かだ。

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ジャニーズ事務所の欺瞞.jpg

【テレビ朝日、(10月6日放映)羽鳥慎一モーニングショーの一場面から】

それでは本題に入りましょう。

イトルは表記の通り、『故ジャニー喜多川氏による性加害問題にこと寄せて』です。

ころで、(些か唐突に思われるかもしれませんが、)日本のTV局や新聞社などのマスメディア各社が、この一大事件を【性加害】という判で押したような矮小化した表現で済ませていることに、日本人特有の隠蔽体質的な意図を強く感じています。私はそこに欺瞞の臭いを大いに感じると同時に、虫唾が走るような違和感と不信感とを抱いています。

ぶんこれは『忖度』なのですね。誰に対しての?・・・それは旧ジャニーズ事務所へのというよりは、今では多くの視聴者やジャニーズファンに対しての(要らぬ)配慮の末の忖度だと思っている私です。

が思うに、これはどう考えても【性加害問題】などではなくて、明らかに【史上稀に見る性犯罪事件】そのものです。

ぶんですが、【性犯罪事件】と表現すると、唾棄すべき、つまり隠さなければならない事柄だという先入観が、大衆迎合的性質を持つマスメディア側にはあって、某公共放送であるN〇Kをはじめ民放各社も新聞社も、こぞってこうした表現に統一したのだと思われます。

かし果たしてそれでよろしいのでしょうか?

だ疑問に思っているのですが、この様な(巧妙?な、あるいは安直な)言葉のすり替えや、事実の矮小化が随所に見られるのは、この特異な性犯罪事件の特徴の一つだと思っています。それこそ日本社会の縮図そのものだと言っても過言ではない。こうした文言の一つ一つが欺瞞行為、つまり本質的問題から目を逸らす為のレトリックではないか?・・・と疑ってしまう私です。

〇レの10月6日の夕方の番組では、この一件をジャニーズ事務所の【不祥事】だと伝えていましたが、この表現も明らかに事実の矮小化であり、欺瞞そのものだと断じざるを得ません。矮小化ではなく、ありのままに等身大の事実としてこのことを語るならば、これは紛れもなく刑法上の複数の罪科に抵触する重大犯罪なのであって、けして不祥事などと言う矮小化された生ぬるい表現で済まされる事柄ではない筈です。

かも2回目の会見で一部の記者が【不規則発言】をしたという言い方までして、同じマスメディア側にいる筈のこの番組のMCが、会見に臨んでいたジャーナリストや記者のモラルまで(遠回しではあったが)問うていたのには呆れました。何を以て【不規則発言】をしたと判断したのかは分かりませんが、仮にジャニーズ事務所側が答えに窮する質問をしたことを指してそう言ったのなら、それは【不規則発言】などではない筈です。

ぜなら、たとえその発言が名誉を毀損する恐れがあったとしても、それが公共の利益に資するものであり、真実と信じるに足る十分な証拠あるいは根拠に基づくものであるならば、それは全く以て合法であり、その質問は些かも【不規則発言】などではないからです。それに、事実とそこから導き出される真実を明らかにする事こそが、記者やジャーナリストの本来の使命であり責務であって、取材対象への忖度や迎合がお仕事ではないからです。況してやこれは、史上稀に見る悪質な未成年者への性虐待であり、性犯罪そのものなのです。

れともごく単純に、1社1名1つの質問に限る、しかもジャニーズ事務所側の司会者が指名した人物に限って質問を認めるといった一方的でアンフェアなルールに反して、複数の質問をしたり、指名されてもいないのに発言した記者やジャーナリストを指して【不規則発言】だと断じるならば、これこそが【不規則発言】そのものであり、ゆえに視聴者やファンへの欺瞞行為に他ならないと私は思うのです。

問時間が無制限だった1回目と異なり、たった2時間という短い記者会見の時間を設定し、尚かつ1社1名1つの質問に限る、しかもジャニーズ事務所側に立つ、公平性は見込めない司会者が指名した人物に限る、といった一方的なルールで果たして疑念が晴れるのかと言えば、けしてその様なことはなくむしろ疑念がより深まることはあっても、不明なことや隠された事実がそこで明らかにされることはないでしょう。

としたらこの2回目の記者会見は大失敗だったとしか言いようがない。一人の記者が(この記者会見自体を)「茶番じゃないか」と叫んでいましたが、私もそう思っていました。

の記者会見の隠された目的は、旧ジャニーズ事務所の正当化を図るものであり、故ジャニー喜多川氏の犯した罪を、『法を越えた賠償をします』と言い包めることで矮小化して、その罪科を帳消しにして事を穏便に済ませようとする意図が見え見えで、それは取りも直さず被害者や多くのジャニーズファンや、一般視聴者を欺く行為だと断じるしかないでしょう。

ジャニーズ事務所が、額面通り被害者の救済を第一に考えるというのなら、事実を曖昧にして何かを誤魔化そうとしたり、事実とそこから導き出される真実を覆い隠そうとすることは、その(被害者の救済という)方針に逆行する行為であり、まさに欺瞞行為であり裏切りであり、茶番な訳です。

そもそも被害の実態と全容が分からなければ、被害者の救済も損害賠償もできないのは自明の理です。にも関わらず、限られた時間と1社1問という事務所側が勝手に設けたルールで言論を封じるという形で、被害の実態と全容を覆い隠す所行はあってはならないと考えています。

た東山新社長をはじめとした、経営・執行陣の過去について問い質すことは、至極当たり前のことだと私は思っています。この性犯罪事件がもし欧米で起こっていたとしたら、その責任者たる経営・執行陣の過去あるいは現状について、その資格があるのかどうかは当然問われるでしょうし、厳しく追及されるべき要件の一つです。

れを何ら関係ないと思われる個人のプライベートな事まで公の場で言い募るのはおかしいと言うならば、そう言う方こそがおかしいのです。少なくともこれはジャニーズ事務所も公に認めた性犯罪事件なのですから、経営陣にセクハラをした過去などあれば、諸外国では即刻辞任か罷免という事態に陥るでしょう。だからこそ、ここは誠実かつ真摯、そして丁寧に説明責任を果たすべきだったのだと思います。

は、東山新社長が記者会見が終わった後、会場を振り向いて「私はセクハラをしていません!」と、大きな声で否定した瞬間を見ていました。何の根拠も証拠も示さずに強い口調でそう言い放ったから尚更印象に残ってしまいました。何しろ例の【NGリスト】で指名から外され続けた、彼らにとって都合の悪い【不規則発言】を繰り返した一部の記者は、その点(過去にセクハラ疑惑が持ち上がっている人物に、被害者を救済し損害賠償する資格があるのかという疑義)をまさに突いていたのですから。という訳で、この一場面を見ただけで、そこに疑念を持ったのはたぶん私ばかりではない筈です。

めて言いましょう。事実や真実の究明は、何も司法の場にいる者だけの責務ではないのです。マスメディアに携わる者やジャーナリストは、それがあってこそはじめてこの場に立てる資格があるのです。

らばそこに忖度や迎合などあってはならないのは言うまでもありません。そして真実とは概ね心地良いものではないでしょう。それでも真実は解き明かさねばならないし、それこそが真のジャーナリズムといえるのだろうと思う訳です。

報を発信する側も、その情報を受容する側である我々見る者も聞く者も、この点をけして履き違えてはならない。(あくまでも合法の範囲であるという前提で話をするならば、)個人情報などのプライベートな事柄と、公の利益のどちらを優先すべきかと言ったら、当然後者にならなければならない。そこ(プライベートな事柄)に欺瞞や不正があるならば、それは公共の利益の為に当然明らかにされなければならないことです。ですからそんな事まで明らかにされたり追及されるなんてかわいそうなどという次元の話ではないのです。

押しでもう一度言いましょう。故ジャニー喜多川氏は、これが事実であれば(真実だと信じるに足る証拠はあると思っております)、間違いなく、(世界中を見回しても)史上稀に見る常習的性犯罪者そのものであり、鬼籍に入っても尚、未だ断罪されるべき立場にあります。

してその権利と義務を継承する、旧ジャニーズ事務所(SMILEーUP)の経営陣は、たとえ当人に落ち度がなかったとしても、法人としての過去に(故ジャニー喜多川社長よる)罪科があるのであれば、当然それを断罪されるべき側にある訳です。

こで注意しなければならないのは、旧ジャニーズ事務所に属していたタレントの人達と、法人としての旧ジャニーズ事務所(現SMILEーUP)とは、混同して考えることがあってはならないという事です。そうでなければまた冤罪や風評被害を生じかねない。

う一点指摘しておきましょう。性犯罪というと人々はどうしても好奇の目で見る傾向がある。だから好奇心あるいは嫌悪感が先に立って、とても冷静ではいられない。ゆえに往々にして主観的な判断をしやすい傾向にあると言えるだろう。

からこそ感情的にならずに一連の情況を冷静に受け止め、なおかつ犯罪者と被害者とを公平明確に判別分離して考える客観的で冷静な態度を、我々は決して忘れてはいけないのです。

は思うのです。日本のマスメディアや視聴者並びにファンの皆さん、はたまたこの問題に関心の有る無しに関わらず我々傍観者である人々の過半には、この視点が決定的に欠けていると思わざるを得ないのです。この様な記者会見でも、まるで娯楽番組を見るような感覚で、ただ漫然とかつ受動的に、時間潰しで見ているのではないかと思える程です。

れだけでなく先にも挙げたように、ここに情報を発信する側の『問題のすり替えや事の矮小化を図ろうと画策する意識、あるいは意図がある』と私は思っています。受け手もまた、『それを何一つ疑うことなく、無意識に受容してしまっている』実体があります。それが証拠に、毎度毎度それに洗脳、あるいは感化されている人達の何と多いことか。(※近頃些か食傷気味の(従って今はもう見ていない)、某公共放送であるN〇Kの娯楽番組、『チコちゃんに叱られる!』の森〇美〇紀アナのナレーションを想起して書いてみました!)

報を発信する側の、黒を白と言いくるめるギミックに騙され、受け手である我々が味噌も糞も一緒ではお話にならない。私に言わせれば、善悪や正誤の判断が出来ないようでは、頭が鈍磨して、延いては退化していると、皮肉交じりに指摘されても仕方がないであろう。

にあの井ノ原副社長の「子どもたちが見ています発言」に、違和感を感じないようでは神経が鈍磨しているとしか言いようがない。更に言うならば倫理観も理性も崩壊していると言わざるを得ない。

ぜなら、その子どもたちに性犯罪を為した側にいる人物(この場合は旧ジャニーズ事務所の権利と義務を継承している側の井ノ原快彦副社長)が、「『子どもたちが見ています』と言える立場にはない」という自覚が、井ノ原氏には決定的に欠如していたからです。

のついでに言うならば、あの時に井ノ原発言に拍手喝采した記者たちには、ジャーナリストあるいは記者としての矜持はないと私は断言致しましょう。たとえ心情として賛同したくとも、そこを抑えるのが公平な立場であるべきジャーナリストの責務です。それに、取材対象に迎合したり忖度した時点で、ジャーナリズムは崩壊するのです。

はこう思います。井ノ原副社長の「子どもたちが見ています発言」こそ問題のすり替えであり、黒を白と言いくるめる欺瞞行為そのものだと。たとえ本人にその気がなかったとしても、立場を弁えない愚かな発言だったと言えましょう。この井ノ原発言の悪影響はそれだけではありません。それが証拠に、あの時拍手した記者と同じく、この記者会見をTV画面で見ていて、この偽善的発言に騙されたり絆(ほだ)された人達は、相当数に上っただろうと私は見ています。

れと、公平性という意味で指摘するならば、今後所属タレントや所属アーティストとは、エージェント契約制にするという新会社の説明と反する声明を、旧ジャニーズ事務所は公表していることも疑念を持たざるを得ません。エージェント契約にする前提であるならば、今後の説明責任は新会社がするのではなく、エージェント契約をした、或いはしようとしているタレント側にあるのです。それをたった一人のタレントにのみに忖度して、それは「事実に反する」とか「名誉を著しく毀損している」と代弁すること自体がおかしい。何(誰)を指してそう言っているかはもうお分かりですよね。

の声明はは紛れもなく『キムタク擁護発言』そのものです。経営陣おしなべて、未だ旧ジャニーズ事務所の意識が抜けないのですね。SMILEーUPに切り替わる日はまだですが、エージェント契約にすると言ったなら、抗議や釈明はキムタク本人がすべきことではないかと私は思います。子どもじゃないんだから。

れこそ『キムタクにソンタクしてどうするの?』という感じです。

れこそ説明責任は本人が為すべきものでしょう。一部の週刊誌が、キムタクの名誉を著しく毀損していると主張するのなら、当然本人自らがその週刊誌に強く抗議して然るべきでしょう。なにしろ今後エージェント契約制にすると旧ジャニーズ事務所側が公表しているのだから。

れこそが旧ジャニーズ事務所の一番の稼ぎ頭であるキムタクへの特別な配慮忖度そのものです。

れにしても皆さん、何か肝心要(かんじんかなめ)な事をお忘れではないですか?

うお忘れですか? あのSMAP解散時のゴタゴタの経緯とその結末を。

ムタクはあの時、ジャニー喜多川や、藤島・メリー(メリー喜多川)側に就いたのです。中居正広以下のメンバーが、解雇された元マネージャー側に立とうとしたのとは真逆に、ジャニー喜多川に強い恩義を感じているという木村拓哉が真っ向から対立し、亀裂を深めたのはご存じの通りです。

ムタクがジャニー喜多川に恩義を感じて残留するという話は、いつの間にか美談に祭り上げられ、その一方で中居正広以下のメンバーは、『恩知らず』という不当で不名誉な扱いを受けて、それに甘んじなければならない立場に追い込まれたように私には感じられました。

れまでは、中居正広のキャラは余り好きではなく、むしろキムタクの方に好感を持っていた私ですが、このことに関しては明確に中居正広側の主張に就いていました。私はあの時のキムタクの話に、何とも言えない胡散臭さを感じていたのです。そしてその勘は間違っていなかった。ところが世の中の過半はそうではなかった。

こぞの在京放送局では、特番まで組んで生放送したのを、ご存じの方も多くおられる筈です。

れこそ今になってよくよく考えれば、ジャニーズ事務所への忖度番組そのものだった訳です。

在では国民の過半が、ジャニーズ事務所に所属していたタレントの殆どが、ジャニー喜多川氏の性犯罪を知っていた事を、それこそ誰一人疑わないでしょう。そのことを念頭に置いて、この時のキムタク発言を美談と捉え賞賛した多くの声を思う時、我々は何と浅慮で暗愚だったのだろうと思わずにはいられません。(と言いながら、私はこの時の一連のゴタゴタを茶番劇だと看破して、実に白々とした、尚かつ冷ややかな思いで見ておりました♡)

れともう一つ、SMILEーUPの今回の声明が公平性を欠くと私が指摘したのは、キムタクだけを公に擁護したことを指して言っています。今回のジャニー喜多川氏のいわゆる性加害問題(本当は性犯罪事件)で、誹謗中傷に晒されているのは何もキムタクだけではない。主だった他のタレントも大なり小なり謂れなき誹謗と中傷に晒されているし、名誉を著しく毀損されている恐れが現実にある訳です。

の中でキムタク一人だけの名を挙げての擁護となれば、そこに欺瞞を感じざるを得ないのは道理でしょう。

際、旧ジャニーズ事務所の支援も擁護も受けず、元V6の岡田准一は自分の考えを明確に表明して、SMILEーUPから完全に離脱し、今後は独自の道を歩むことを公表している。であるならば、キムタク自らがSMILEーUPからの去就と、自分なりの考えを自らが自らの言葉でなぜ述べないのか、私はそれを甚だ疑問に思う次第です。

なくともエージェント契約にすると表明したSMILEーUPから、一部の週刊誌に対して事実無根と抗議すべきことではないはず。それはキムタク本人が自らの意思によって適宜述べるべき事柄でしょう。

、、、という長い長い<前置き>があって今回のテーマとなる訳です。

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久々の更新ですが・・・ [近況報告]

栗01.jpg

信州の小布施の栗が、天候不順で極端な不作に陥っているのをTVの映像で見て知った。

それを見て、今年は全国的にどうも栗が不作らしい。・・・と思い込んでいました。

確かに近所の八百屋やスーパーマーケットでも栗は小粒で出来が余りよろしくない。

二度ほど食べてみたが小粒で味も余り芳しくなかった。

そんな或る日、久々に歩いて少し離れた昔ながらの八百屋さんに行ったら、

「ありました!」、、、栗の生産量日本一の茨城県産の大栗が。。。

デカい。500円硬貨よりも遙かにデカい。

栗02.jpg栗03.jpg

どうですこの大きさ!!!

八百屋さんのおばちゃんに訊ねたら、どうも通常の栗とは品種が違うのだそうです。

元々大きい栗なのですよ。

茨城の岩間や笠間まで何度か行って買ったり食べたことあるけど、こんなの一度も見たことない。

早速一袋だけ茹でて鬼皮を剥いてみました。

ついでに数日前に買った千葉県産の渋皮付きの小栗と大きさ比べまでしてみました。

栗05.jpg栗04.jpg

いやぁ〜、通常の栗と大栗の大きさの違いが一目瞭然ですね。

質量にすれば4倍以上の差があるような気がいたします。

栗07.jpg

この後、餅米を炊いて、炊き上がりのおこわご飯の上に、渋皮を剥いた大栗と小栗を載せました。

もち米は三合炊きで、大栗全部はお釜に載せきれないので、3/7ほどしか入れていません。

そしてかき混ぜたのが下の写真。

お釜は五合炊きの炊飯器のものですが、そのお釜が二合炊きに見えるほど栗が大きいですね。

栗08.jpg栗おこわ完成.jpg99.jpg

それから、かき混ぜてお茶碗に盛って食卓へ。

うちの奥様は外出中で夕方まで帰って来ないので、栗おこわとあり合わせをテーブルに並べ、

パクリとお口へ・・・・ん〜〜〜〜〜〜〜〜旨んまい!

栗本来のえも言われぬ甘さとこのホクホク感、もち米の粘りとほんのりとした甘みが丁度いい。

ちなみに私は家事全般すべてこなせるので、妻に頼らなくても生きていけます。

つまり人に頼らないで生きていける、まったく以て自立した『デキる爺さん』なのでありまする。

てな訳で、久々の更新は「自慢高慢馬鹿の内」を自らを被験者に実証実験してみたのと、

皆を羨ましがらせようという魂胆で書いた『栗おこわを食べました』という写真とご報告のみ。

<2023/10/02 17:09追記>

炊飯器についてコメントを頂いたので、それについてお答えしたいと思います。

炊飯器は象印の圧力IH炊飯ジャー5合炊きです。前のIH炊飯ジャー(タイガー製)3合炊きが壊れて、それで新たに購入した製品です。

この新たに購入した象印の炊飯ジャーですが、ちょっと奮発しただけあって、とても高機能です。

しかし高機能であるが故にお手入れが大変! 毎回(炊飯する毎にという意味)のお手入れは不可欠なのです。説明書にある通り三つのパーツを取り外して、それを綺麗に洗って拭き取りもしっかりしないと故障の原因になってしまうのです。本体や内釜も同様です。

ところがところが、私は几帳面な血液型A型なのに対し、うちの奥様結構ズボラなO型なのです。だからせっかく奮発して買った炊飯器を使ってくれない。手入れが面倒臭いからという理由で。そんな事もあって、うちの奥様は、今では自分の分は昔ながらのリケンの圧力鍋で毎回炊いています。

前にもお話ししているのでご存じの方もいらっしゃいますが、私とうちの奥様は別々に食事を作っています。そしてそれは、自分の健康管理は自分でして人任せにしないという私の信念に基づいて遣っていることです。でも厳密厳格にそうしているかと言えばけしてそうではありません。

作るのはそれぞれが好き勝手に作っていますが、料理も食材も適宜お互い融通し合っています。

でも面倒臭いことはしたくないうちの奥様は、圧力IH炊飯ジャーを選ばずに、リケンの圧力鍋でご飯を炊くようになったという次第です。

因みにうちの奥様は、私の炊いた栗おこわがいたくお気に召したようで、この2日後に自分でこの栗を買ってきて、栗の赤飯を圧力釜で炊いています。残念なことに、それを私は一度も頂いておりません。

うちの奥様のモットーは恐らく「私のものは私のもの、夫のものは私のもの」というものかと♡

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という報告だけでは少し物足りないので、栗を買ったその足で出掛けた幕張散歩の写真を少々。

とは言ってもマリンスタジアム周辺の風景エトセトラだけなんですけどね。

マリンスタジアム01.jpgマリンスタジアム02.jpg

やはり佐々木朗希が目立っていますね!

kinoko.jpgkinoko2.jpg

手前の緑地公園で撮影したきのこ。キノコ図鑑あるけど調べるの面倒なのでスルーしました。

 

てな訳で、、、久々の復活と思いきや、メインブログ同様に、空かさず休眠いたします。

ではでは皆さまごきげんよう。

あ〜〜〜忙しい!・・・と、虚勢を張ってみたりして♡

<追伸>

冒頭の写真にある、両脇の網に入った大栗二袋は二日ばかり天日干ししただけで放置しています。

今日か明日中に、甘口の渋皮煮にするか、マロングラッセにする予定です。

あ、その前にシロップと砂糖と重曹を買ってこなくちゃ!

<2023/10/04 08:50追記>

大栗の渋皮煮作りましたので写真掲載して置きます。

渋皮煮.jpg

<2023/10/04 15:15追加記入>

どうです、大きいでしょう。それほど甘くは作らなかったので、栗の味がしっかりと楽しめました。

渋皮煮の状態でこの大きさですから鬼皮付きならもっと大きい。

大栗01.jpg大栗02.jpg

どうです。馬鹿デカいでしょう。

でも、一粒だけでは栗一粒の桁違いの大きさは分かっても、

それをいったいどのくらい作ったのか迄は分からないですよね。

なので全体写真を1枚。この大きな容器一つの容量は満杯で2リットルだそうです。

満杯ではなく大栗と黒蜜が目分量で七〜八分目くらいでしょうか。

その容器が二つですから総量は推して知るべし。

という次第で、ちょっと作りすぎてしまった感は否めない。

上でも書いた様に、味は甘すぎず栗の味覚もしっかり残っている。

初めてにしては上出来です♡

大栗03.jpg

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<2023/10/01 17:00追記>

またちょっと嫌な事があったのですが、正直にあったままをお伝えしたいと思います。

皆さまもよくご存じのように、私は不正や欺瞞や嘘を見て見ぬ振りが出来ない性格なので、しかも歯に衣着せぬ直截的な性格なので、拙ブログを見る人によっては不快感を催すことは重々あると承知しています。

そして例の一件では、ある意味相当過激な事を書いていたので、(例えば問題あるブロガーの記事にお礼nice!を押している人達に「パブロフの犬的ブロガー」とか「意識低い系ブロガー」と名付けたり等々で)多くの人の顰蹙を買っていたのも事実です。ゆえに私を快く思わない人が出てきても致し方がないことだと思っています。

そうしてあの一件以来、約70名〜100名ほどが私のブログを(表面上は)訪問しなくなったのも知っています。しかしこれは言わば因果応報ですから、私がそれで皆さんに兎や角言うことではないとも思っています。

ご自身の意思だけでそうしたのならね。

でも事実は表層(皆さんの目に止まる情況)だけで起こっている訳ではないのです。

裏で蠢く人達の言動こそが事実であり、真実であると言えるのです。

そしてそれ(後者)こそが今回私が不快になった原因です。

今回この記事を書いた後、私は過去にコメントを下さったブロガーの方々を中心に、(nice!を押して)その方の記事の内容に沿った短いコメントを書いておりました。それは何よりも、皆さまのコメントを読みたかったから。

そして行く先々のブログで、その記事にコメントを書いているブロガーの方々もピックアップしてnice!を押してコメントを書いていました。

ところが或る女性(と思われる)ブロガーの記事に、その記事に沿ったコメントを書いて投稿しようとしたところ、見事弾かれてしまい、記事の内容を変えて3度トライしても駄目でした。

何と私のブログネームとURLがこのブロガーによって【禁止WORD】に加えられていたのです。

私が糾弾した相手ならいざ知らず、何ら敵対関係にもない人からコメントを拒否されたらそれはショックとしか言いようがないでしょう。私は一度とてこの人物のブログを批判したことはないし、当然非難したこともなければ皮肉ったり揶揄ったことすらないのです。

私を人知れず【禁止WORD】に加えていたとなれば、裏に何かあると思うのは当然でしょう。

実はこういった人達には共通点があることを私は知っています。数人のブロガーがLINEやメッセンジャーやメール、あるいはハガキや手紙などでブロガー同士連絡を取り合い、私を危険人物だと決めつけ、相手にするなと言うような遣り取りをしていた事実を私は知っているのです。それが誰だかも幾人かは人物の特定もしています。私はただそれを言わないだけなのです。

ところで、私のブログに来なくなった人の過半は、自分の意志で、ただ単に私を嫌って、あるいは面倒臭いとか疎ましく思って来ないのですから、それはそれで致し方のないことだと思っています。

その一方で、私は自分がしたことは今でも正しかったと思っていますし、合法だったと確信しています。しかしそれを他のブロガーまで強要はしません。人の考えは十人十色でもありますしね。人の口に戸を立てられないのも当然承知です。そして上記で挙げた様に、今の情況は私の行動の結果であり、因果応報なのですから当然納得もしている訳です。

しかし、影でこんな(不正な)ことをしてまで、私を貶めようと画策する人達が少なからずいることを、私はとても腹立たしく思うのです。陰でコソコソ何かを画策する行為が、私にはとても我慢がならないのです。

自分だけの胸に秘めて自分の意志のみで私を避けるという選択をしたのなら何も言いません。しかし他の人まで自分の意見に無理やりあるいはお為ごかしの手練手管で同調させて(言わば巻き込んで)、その結果私を貶めることを助長する行為は、果たして人として為すべき事なのでしょうか!!!

気に食わないから無視する、あるいは仲間外れにする。あるいは嫌いな人物だから排除する。

こうした人達のしていることは、概ねそういった心理が働いている訳ですよね。

だとしたらこれは、『イジメの心理』そのものなのですよ。

自分の言動を顧みて、それが卑しい心根から出たものだと思いませんか?!

当人にその自覚はないのかもしれませんが、あなた方がしている事は、人としてとても恥ずべき行為なのです。してはならない行為なのです。

そんな人を貶める情報を発信した人、それに同調した人、深く反省することを望みます。

<2023/10/02 17:25追記>

こうした影で動く人達を相手にしない方が良いのでは、と言うコメントを頂きましたのでそれについて私なりの考えを述べさせていただきます。

確かに相手にしなければそれで済む話かもしれません。私としても大げさに事を構えている訳ではありません。

しかし黙っていればそうしたこと(イジメの心理が働く情況。あるいは嘘や欺瞞が罷り通る情況)を助長してしまう環境は、けして座視しない性格なのです。そうした陰湿な行為や不正な出来事を、座視したり知らぬ振りをすればまた同じことが繰り返され、誰かが泣き寝入りをしなければならなくなる。

私はそれが嫌なのです。でもそれを他人の為に遣っているという意識は正直ありません。あくまでも自分のために遣っていることであり、それが延いては他の多くの物言わぬ人々の利益に資することに繋がればそれでいい。ただそれだけなのです。

ですから、「気にする」、「気にしない」という観点でものを見たことは一度もありません。

間違っていることを「それは間違っている」と言う勇気は、絶対に必要だと私は考えています。

翻って、見て見ぬ振りが一番良くない行為だと私は思っています。

だからと言って私と同じ考えであれ!・・・とは言いませんが。

 

以上、言いたいことはそれだけです。

 

<2023/10/03 12:55追記>

ブログタイトル通り私め、おしなべてH☆imagine(暇人)なので、昨日14:00から、ジャニーズ事務所の会見をすべて見ておりました。

そして思ったのです。

「ああ、例の一件での『私の風評被害』とまったく同じ構図だな」と、、、。

一応名が通っている加害者の、その言い分には十二分に耳を傾け、尚かつその言動を信じても、その欺瞞と嘘を批判し糾弾した被害者の私の弁は信じないどころか、却って疎ましく思ったり不快感しか示さないし、極端な場合は、影に回って誹謗中傷を繰り返す者さえいた。その他大勢の傍観者ブロガーにとって、これら一連の出来事は、すべて他人事であり、自分の身に置き換えて考えることをして来なかった。

しかし、、、これって、ジャニー喜多川元社長や姉の藤島メリー元副社長&今までのジャニーズ事務所所属タレントとファンの関係と、それを見過ごしてきたマスメディアやジャーナリストの対応とまったく同じだと思いませんか?

毎度毎度の日本人気質である、忖度、臭いものには蓋、見て見ぬ振り、無関心等々、そうした精神風土や悪しき慣習が日本を駄目にしている。・・・という意識と認識が皆さまには足りない、あるいは欠けているのでないかと思う次第です。

まあこれ以上書くとますます顰蹙を買うので止めますが、機会を新たにし尚かつ媒体を変えてでも、このことは何れ明らかにしなければならないなと思っております。

ところで、何で旧ジャニーズ事務所の稼ぎ頭であるキムタクの存在と言動が話題にならないのか?

あのSMAPの解散時のゴタゴタと、中居正広との確執も私からすれば記憶に新しいというのに、ファンの皆さんも芸能関係のジャーナリストの皆さんも、揃いも揃ってキムタクについては噂にもならず、話題にも上らないし、おくびにも出さない。

・・・不思議です。もしかして忖度?、気遣い・・・それとも!

 

 

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