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自己正当化という偽善と欺瞞の齎(もたら)すもの [迷える人々へ]

サンティアゴ大聖堂.jpg

<有名なキリスト教巡礼路の終着点が"Santiago de Compostela"、私たち夫婦はここに2回行った>

タイトルヘッダーの写真だが、このサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂前の、オブラドイロ広場の中心の、石畳に埋め込まれた終着点の道標?である。(上記の写真では、多くの人が集まり座っている辺りにある)なおここに彫られたホタテ貝は巡礼の象徴で、(日本の一里塚さながらに)巡礼路では聖地の道順を示す矢印とともに、分岐点等々至る所で見られるものだ。

イエス・キリストの使徒であった聖ヤコブ(スペイン語で『サンティアゴ』)の聖骸の安置された、スペイン西北部のガリシア州に在るサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂は、ローマ、エルサレムと並ぶキリスト教三大聖地に数えられている。
そこに至るヨーロッパ中に張り巡らされた巡礼路はスペイン語(カスティーリャ語)で "El Camino" (エル・カミーノ『その道』)と呼ばれ、その全てがこのサンティアゴ大聖堂に繋がっている。
勿論お膝元のスペインやポルトガルにも幾つも巡礼路はあって、それら全てを辿ってサンティアゴ大聖堂に辿り着いた人は、世界広しといえどもそうは多くはないであろう。一生のうちで3回も行けば多い方だといえる。恐らく10回行っても全部の巡礼路を辿ることは不可能と思われる。
それにこの巡礼路は途轍もなく過酷な道である。町(或いは村)と町(或いは村)との間は、どこまでも続く炎天下の平原か、起伏のある曲がりくねった道、あるいは険しい山岳地帯で、人は殆ど住んでおらず見渡す限り家はない。ましてやコンビニやレストランや大規模ショッピングセンターなどあろう筈もない。
そうは言っても近代から現代に至るまで巡礼者が休息し一晩の宿を借りることは出来る。昔は野宿がもしかしたら当たり前だったのかもしれないが、四国お遍路同様にサンティアゴ巡礼の旅には、巡礼専用の宿泊施設である『アルベルゲ』があるからだ。しかし基本連泊は出来ない規則になっているので、ちょっと疲れたから数日休ませてくれとは言えない。そのようなこともあって、巡礼の旅が過酷であるのは今も昔も変わらないのではないか。
それが証拠に、現在のように医療が発達し、野生の狼もおらず、治安もある程度確保されていたとしても、途中でリアイアする人の数は殊の外多い。それは最もポピュラーな、フランス南部のトゥールーズから始まるピレーネー山脈越えの『フランスの道』でも、しかもかなり健脚な巡礼者であっても、最短で1ヶ月は掛かることからしても容易に推し量れるであろう。
通常は40日ほど掛かるようだが、新調したトレッキングシューズでもサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に着く頃には、靴底はすり減り靴紐は切れ、大抵ガタが来てボロボロになってしまう。
足も最後まで無事な巡礼者は稀だと言えよう。皆、大なり小なりマメが出来たり足の裏の皮がベロッと剥がれ、血だらけになったりというアクシデントに見舞われている。重いザックで肩を痛めたり擦り傷を負う巡礼者も多い。そうした怪我だけでなく、巡礼の旅が長期に渡ることから、体調を崩し病気になる人も少なくないし、精神的に参ってしまう人は必ずいる。
それにスペインの夏の気温は日中40度を軽く越える。私がスペイン滞在中に経験した最も暑い日はコルドバからセビーリャ(セビリア)に至る車中(レンタカーを借りて運転していた時)の45度だ。3日前は50度近くまでいったとオスタル(ホテル)の受付の女性は当然のように言っていたから、世界中に熱波が押し寄せた2023年は、もしかしたら、否、もしかしなくても50度を越える日が幾日もあったものと思われる。
日中の最高気温45度を経験したその日は、夜8時になっても38度までしか下がらなかった。幾ら日本と比べて乾燥した空気だとはいえ、熱帯夜の夜は寝苦しかった。
であるからにしてフランスからの道などは、セビーリャより遙か北で幾らか気温は低いとはいえ、ピレネー越えなどを考えれば寒暖の差は激しく、しかもガリシア州に近くなるとそれまでの乾燥地帯が一転して亜熱帯もしくは温帯雨林的に雨の日も多くなり、その過酷さは四国八十八カ所札所お遍路の旅を遙かに越えるものであろう。それでも世界中から集まった人々はサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す。
このサンティアゴ、欧州で新型コロナウイルス禍がようやく収まった2022年は、歴代最多の55万人がこの地を目指して巡礼の旅に出たという。今年はそれを超える人々が巡礼の旅にでているのではあるまいか。
そうして世界中から集まった巡礼者の多くは、その道程が長く起伏に富み過酷であるがゆえに、この長い旅路で多くのものを得るという。(逆に失うものがあるかも知れぬ)
私がこの道の存在を知ったのは、2度目にスペインに行こうと決めた2017年だ。ツアーではなく個人旅行で行く計画(丸1ヶ月)をした私は、ガイドブックを見てサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の旅の存在を知り、その紹介コラム欄に載っていたパウロ・コエーリョの著作、『星の巡礼』という小説の存在も合わせて知った。以来是が非でもここに行きたくなり、旅程の中にしっかり組み込んだだけでなく、ネットでこの小説の書評を見てすぐに角川文庫版を購入して巡礼の旅とはどんなものなのか知ろうとしたのだった。
その後2019年のポルトガルの旅(きっちり3週間)の終盤に、ポルトから足を伸ばしてこの地に4連泊して以来、まだ2回しか行っていないが、今後欧州に行く機会があったらサンティアゴ・デ・コンポステーラには必ず行こうと決めている。
だが実のところ巡礼の旅は一度も経験したことがない。サンティアゴ・デ・コンポステーラに幾日(3泊〜4泊)か滞在し、その周辺を散策したり、ちょっと遠出して終焉の地といわれるフィステーラ岬を訪ねたのみだ。しかももう長期間に渡って海外旅行をする体力はない。そして今は海外に行くお金さえもない(@^▽^@)
だがしかし、妻はこの聖地が今も大好きだ。でも昨年から膝を痛めているので、あらゆる条件が揃ったとしても、巡礼の旅はおそらくは実現しないであろう。私たち夫婦は年老いた。

それでも、この旅を通して経験したであろう巡礼者の心の変化に、及ばずながら思いを馳せることは出来る。彼ら彼女らは総じてこう思ったはずだ。
敬虔さとは何か、正直であることの意味、自分を見つめ直す謙虚さを持つことの大切さ。
つまらない意地を張るのも、中身もないのに体裁を繕う事も、それら見栄も虚栄も全ては空しい。
そうした諸々を捨てて、穏やかな心を得た(取り戻した)時に素直な心が蘇るであろう。
それら諸々の真理を、巡礼者の多くはこの長く苦しい旅を通して学び、経験するのだ。
それは自省、あるいは過去を振り返る旅であり、明日に繋がる貴重な心の旅でもある。

たとえ途中で挫折したとしても、そこから得るものは必ずあると私は思っている。

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